関東大震災

2016年12月20日 (火)

古絵葉書 関東大震災 その陸(救世軍)

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 「帝都大震災後救世軍が罹災者への着物配り」と題された一葉です。

 救世軍(The Salvation Army)はイギリス発祥のキリスト教プロテスタントの教派団体です。その組織は軍隊に模してあり独特です。社会福祉活動に熱心であり、日本での活動は1895年(明治28年)から始まっているそうです。

 関東大震災時においては自らも大きな被害を受けながら、市ヶ谷を拠点として救援活動を行っていました。
 資料では、塵紙・手拭・シャツ・毛布・米・味膾・醤油な どの食料・日用品をもって市内バラックに一時収容されている罹災者へ慰問活動を行ったり、バラックでの診療も行っていました。また、アメリカ、カナダ、イギリスからも多くの救援物資が集まり、その量は他の団体の及ぶところではなかったとの記述もあります。


(参考) 三吉明著 「救世軍の社会事業と山室軍平」

2016年11月25日 (金)

【閲覧注意】古絵葉書 関東大震災 その伍

 関東大震災は1923年(大正12年)9月1日に発生した関東地震による地震災害です。190万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明になったとされています。

 テレビのない大正の当時は、新聞の写真を除けば、絵葉書がその災害の大きさを伝える大きな媒体になっていたようです。それゆえ関東大震災に関する絵葉書は数多く発行されており、その被災状況をビジュアルで把握することはそれほど難しくはありません。

 これまでにも幾葉かの震災絵葉書をご紹介してきましたが、その主なものは破壊された街並みや施設のものです。たしかにそれらも被害の大きさを推し量る重要な要素ではありますが、では、そこから10万5千人の死亡者(行方不明者)に思いを向けることは容易なことでしょうか。ともすればスペクタクルとして捉えてしまいがちですが、亡くなった方は現実におられるわけで、彼らは決してモブではないのです。

 本所被服廠跡、現在の両国国技館や江戸東京博物館付近にあった20,430坪余の広場では午後三時頃までに約4万人の避難民で溢れかえっていました。人々は地震の揺れから逃げ、家財道具を伴い、安全とされたこの場所に避難してきたのでした。

 午後四時頃、この人々を旋風と火が襲います。老婆を背負った男が空中に飛び上がり、荷を積んだ馬車が馬とともに回転しながら舞い上がります。大八車も飛び、空き地に隣接した安田邸の塀の御影石などが人の群れに降ってきます。旋風に巻き上げられた人々は、一か所により固まって墜落し、人の山ができ、そこに炎が襲い人の体は炭化したように焼けました。火勢が強くなり人々が大群衆となって駆け出します。躓き倒れたものは踏み殺されます。しかし走る前方にも死体の山が既にあり、家財などが燃えています。死体の山を乗り越えて逃げなくてはなりません。躓いたり足を滑らせたりして倒れたら後続の人々に踏みつけられることになり、死ぬことを意味します。死体の山を乗り越え逃げ惑い、また強風にあおられ焼けたトタン塀に貼り付けられ絶叫とともに炎と化していく様はまさに地獄です。

 被服廠跡では3万8千人が死亡したとされています。これは震災における東京市の死傷者数6万8千人余の55%強に達する数字です。


 火災の収まった後の被服廠跡は凄惨な光景で溢れかえっていました。
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 死体は重油によって焼骨され、その骨は三メートルの高さに及んだといわれていますが、絵葉書はその悲惨さをも余すことなく伝えています。

 
(参考)
 吉村昭 著 「関東大震災」 文芸春秋 刊
 鈴木淳 著 「関東大震災 消防・医療・ボランティアから検証する」 ちくま新書

 

 

2016年11月15日 (火)

古絵葉書 関東大震災 その肆

 関東大震災の絵葉書です。蘊蓄はなしにして、画像だけを淡々と貼ろうと思います。


東京地図 黒く見ゆるは焼け跡
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日本橋通丸善の惨状
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吾妻橋の破壊
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浅草雷門跡より
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浅草仲見世の焼跡
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横浜オリエンタルホテル焼失の惨状
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2016年9月 1日 (木)

古絵葉書 関東大震災 その参

 9月1日は防災の日です。台風の襲来が多いとされる二百十日にあたるということもありますが、直接的には、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんだものです。

 関東大震災の絵葉書については、以前にも数葉ご紹介しましたが、新たに入手したものも含め、改めてご紹介したいと思います。(閲覧注意のものも含まれますのでご承知ください)

Photo

(日本橋)

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(深川 黒亀橋の惨害)

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(橋下の惨屍体)

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(宮城前罹災民)

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(日本橋)

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(向島サッポロビール)

 190万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明になったとされています。建物被害においては全壊が10万9千余棟、全焼が21万2000余棟。東京の火災被害が中心に報じられていますが、被害の中心は震源断層のある神奈川県内で、振動による建物の倒壊のほか、液状化による地盤沈下、崖崩れ、沿岸部では津波による被害が発生したそうです。(wiki先生)

 その東京の火災被害については、さらにwiki先生から引用させていただきますと、 「地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、136件の火災が発生した。 ...火災は地震発生時の強風に煽られ、 ...火災旋風を引き起こしながら広まり、旧東京市の約43%を焼失させ鎮火したのは40時間以上経過した2日後の9月3日10時頃とされている。火災による被害は全犠牲者中、約九割にのぼる(当該の統計情報によれば、全体の犠牲者10万5385人のうち、火災が9万1781人を占めた)ともいわれている。」 とその被害の大きさが伝えられるとともに、 「あれ旋風(つむじかぜ)よ!!という間もなく一同の頭上へ巻いて来て、一面の火となり、運び込んだ荷物や人の着物にまでも燃え移りました。崩れかかる人波のなだれに踏み潰される者のうめき声、実にこの世ながらの生き地獄です。」 という被災者の手記からの引用も記載されていました。後の東京大空襲の悲惨さがこの時点で先取りされていたのでした。

2013年2月21日 (木)

【閲覧注意】古絵葉書 関東大震災 その弐

 関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日に発生した大災害です。勿論、その惨状を伝える絵葉書はたくさん発行されていますが、私はこれまで蒐集の対象にしていませんでした。
 今回、寸端会において、三枚の(特にそのうちの一枚には衝撃を受けました)絵葉書を見つけるに及んで、以後蒐集の対象にしようと思います。本日はその衝撃を受けた一枚をご紹介いたします。

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 10万人以上の方が亡くなられたという震災でした。災害とはかくも無残なものなのだと、わかっているつもりのことを改めて見せ付けられた一枚でした。



(2016年11月20日 追記)
 特に本所・深川の河川には火に追われて飛び込んだ溺死者の死体が溢れていました。東京水上警察署は処理の中心になり9月15日までに1,000体超の遺体を引き上げています。腐乱し、激しい臭気を放つ遺体を、卒倒する者まで出しながら、引き上げた警察の人々には尊敬の念を禁じえません。

(参考) 吉村昭 著 「関東大震災」

2013年2月20日 (水)

古絵葉書 関東大震災 その壱

 関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日に発生した大災害です。勿論、その惨状を伝える絵葉書はたくさん発行されていますが、私はこれまで蒐集の対象にしていませんでした。
 今回、寸端会において、三枚の(特にそのうちの一枚には衝撃を受けました)絵葉書を見つけるに及んで、以後蒐集の対象にしようと思います。本日はそのうちの二枚をご紹介いたします。

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 日本橋の惨状です。当時は石造・煉瓦作りが多かった建物でしたので軒並み破壊されています。

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 鉄道も壊滅的な被害を受けています。

 この大災害からの復興によって、先だってご紹介した「大東京三十五区」の風景が生まれてきたわけです。