ミナミの大火

2016年9月23日 (金)

古絵葉書 ミナミの大火 その3

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 「大火焼失略図」(上左)、「南区陳列所の残骸」(上右)、「電気館焼跡」(下) の3葉です。

 1912年(明治45年)1月16日の未明、南区難波新地4番町の貸座敷「遊楽館」からの出火が原因の 「南の大火」 ですが、この「遊楽館」とはどこにあったのだろうかと疑問でした。ネットやその他資料に当たっても、なかなか「現在地はここ」という一文に出会えません。

 今回、「大火焼失略図」を入手し、「火元」と書かれた部分を見て、よしこれでわかるぞと思ったのでした。なお、南の大火の焼失区域については、別の資料から地図を見ることもできますが、なかなか一定していません。(この略図とも範囲が微妙に違うのです。火元あたりも一致しません)

 しかし、せっかく手に入れた絵葉書です。今回はこれを信じてこの「火元」へ行ってみたいと思いました。すなわち「新戎橋筋」です。

 明治263月に架橋された新戎橋は、よく知られた「戎橋」よりも御堂筋を挟んだ西側にあり、橋長が130尺(394m)、幅員20尺(61m)の木橋でありました。ここから5つ目の「通り」付近が「火元」となっています。現代の地図で当てはめてみますと、概ね「近鉄難波ビル」付近となるでしょうか。しかし、焼跡を整備して敷設された「千日前通り」は、火除け地としての機能も持たされており、当時としてはかなり広い道路、一区画分丸々の道路幅であったことを考えると、どうやら「遊楽館」は千日前通りの一角と考えるほうが自然かもしれません。考えてみれば火元は起点です。西からの風にあおられ北西に燃え広がっていったわけですから、南の方角は焼け残っているはずです。焼け残った場所をわざわざ整地して道路にするのは、ちょっと無理があるような気がします。(この場所は「新地」であり、遊郭であったことを考えるとなおさらです)

 というわけで...

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 新戎橋筋沿いの千日前通りの一角である、この写真の場所(道路上)が「遊楽館」ではないかと思うのですが如何でしょうか。(右端の建物は近鉄難波ビルです)

 勿論、当時の住所地と現在の住所地を比較しながら調べることもできるかもしれませんが、残念ながら気力がありません^^; 

 また、火元に関しては既に特定されていて、「そんなとこじゃねえよ」となるのかもしれません。もし正確なことをご存知の方がいらっしゃれば、ご教示ください。お願いいたします。(なんか「北の大火」に比べて力の入れ具合が違うと自分でも思います)


 (宣伝)^^;
 南の大火については(北の大火も含めてですが)、本館で画像をまとめています。もしよろしければ、本館にもお越しください。

2016年7月31日 (日)

古絵葉書 ミナミの大火 その2

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 以前にご紹介したことのあるミナミの大火に1葉加えることができました。

 南海電鉄難波駅の北側に、難波新地という花街がありました。その4番町の貸座敷「遊楽館」より出火(風呂屋百草湯煙突からの火の粉が燃え移ったと記録されています)したのは1912年(明治45年)1月16日の未明でした。

 西から東へと燃え広がった火災は午前11時、谷町9丁目あたりでようやく鎮火されたとのことです。大阪における明治最後の大火でした。

 絵葉書は「戎橋筋付近の惨状」と題されていますので、火元に近い難波新地内の様子と思われます。もしかすると現在の千日前通付近かもしれません。(千日前通は大火の焼跡を利用して1915年(大正4年)に敷設されています)

 なお、難波新地はこの大火ののち、大阪南部に移転し「飛田新地」として現在まで(実質において)存続しています。(「料亭内での客と仲居との自由恋愛」は別に非合法ではないよねっていう理屈らしいです)

2013年2月24日 (日)

古絵葉書 ミナミの大火

 以前にも記載させていただきましたが、私の蒐集対象として「キタの大火(1909年・明治42年)」があります。大阪市史に残る大火災でしたが、実は大阪にはもうひとつ記録に残る大火がありました。

 「ミナミの大火」と呼ばれるその災害は「大阪市史」によりますと、明治45年(1912年)1月16日未明に、南区難波新町4番丁の貸座敷「遊楽館」に近くの風呂屋百草湯の煙突から出ていた火の粉が燃え移り、西からの烈風にもあおられて一挙に燃え上がり、東のほうへ燃え広がっていったという大火事でした。

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「火元遊楽館鎮火後の惨状」 ...火元扱いです。悪いのは風呂屋なのに^^;

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「難波新地鎮火後惨状の光景」

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「高津掘割町より難波方面焼失後の惨状を望む」

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「大阪南区大火 猛火中の生魂町付近」

 第一防火線の千日前を突破され、第二防火線の日本橋筋、第三防火線の中寺町筋も突破され、ようやく同日午前11時、第四防火線とした谷町九丁目で食い止めることができたという、大火災でした。(大阪人でないとイメージ湧かないでしょうが^^;)


 キタの大火から3年。消防能力もパワーアップしていましたが、それでも日本家屋は火に弱いというのがよくわかります。

 教訓... 煙突はマメに掃除しよう というところでしょうか。