国勢調査

2022年10月 2日 (日)

古絵葉書 国勢調査 その拾(後編)

後編です。

大正14年簡易調査が行われたことを示す絵葉書は、2013年10月1日付記事で紹介済みです。
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 しかし、今回じっくりこの絵葉書を眺めておりますと、やたら情報量の多い一枚であることに気が付きました。

 舞妓さんの背景に国勢調査のポスターが貼られています。「大正十四年国勢調査」と書かれていますので簡易調査の実施を示す一枚です。
 舞妓さんなので撮影場所は京都だな。 ...と思ったのでした。舞妓さんの進行方向にはなにやら風流な書画が飾られています。うん、これは京都っぽい。

 しかしですね、このポスター拡大しますと「大阪府」と書いてあるんです。 ん? 舞妓さんだから京都...
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 さらに舞妓さんの左、戸口のあたりを拡大すると「電話 新町二二三二」とか書いてある。京都には新町通りってあるよなあ。歴史スポット巡りと山鉾巡行... 京都っぽい土地だから舞妓さんに似合うよなあ。

 でもね...
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 絵葉書の絵柄、右端あたりを拡大しますと「河辺青蘭女史」と、おそらく絵の作者を紹介する木札がかかってる。調べてみますと河辺青蘭という人はこの時代の女性日本画家で、多くの門弟を輩出した有名な方のようです(すみません、絵の分野はさっぱりです)。そして大阪南堀江の方だということもわかりました。
 南堀江っていうと大阪の新町遊郭の近く... 舞妓をググってみるとwiki先生には、京都以外の舞妓として「大阪市には太平洋戦争前には舞妓が居た。京都とは異なり、帯結びが腰元の様な立て矢であるのが特徴(「やぎっちゃ」という結び方)。また髪型も京風の引き鬢ではなく、江戸風の出し鬢であった」と書かれているではないですか。でも絵葉書の舞妓さんの装束が大阪のものかどうかはよくわからない。見る人が見ればわかるんでしょうけれど。
 さらに電話番号も大阪における当時の電話番号帳が残っているところから根気よく探せば見つかるかもしれない。

 ...やらないだけで。

 余談ですが、拡大すると仁丹の看板が見えます。そしておそらく「仁丹の体温計」と書かれた看板には「舶来品に優る国産品」と書かれているような。
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 森下南陽堂は大阪の道修町ですが、後、赤線検温器株式会社に出資し仁丹体温計の販売を行っています。その赤線検温器株式会社が後のテルモになるらしい。
 これら一連の流れがこの壁の看板から学べるのです。うん、広く浅くはきりがないな。
 きりがないついでに、国勢調査のポスター横に「失業統計調査」と貼り紙が出ています。国勢調査に合わせて行われた調査で第一次大戦後の不景気による失業者の世界的な増加が背景にあるようです。
 そういえば仁丹の体温計も第一次大戦により体温計の輸入ができなくなったことから、製造されるようになったそうです。

 閑話休題
 おそらく本気で調べると推測ではなく結論まで導くことができるだろうと思うこの絵葉書の背景ですが、でもしんどいから中途半端にしておきます。そのうちなんとなく答えが出てくると思うのです。「おとらのしっぽ」はこのパターンなので。

 以上、とてもとても中途半端な後編でした。

2022年10月 1日 (土)

古絵葉書 国勢調査 その拾(前編)

 10月1日には国勢調査に係る絵葉書で蘊蓄、というのが「おとらのしっぽ」でのここ数年の傾向で、たとえ更新が滞っていても、今年もなんとか頑張ってみようかな、などと考えるのでした。

 で、今年は9月の寸葉会において昭和5年の国勢調査絵葉書をタトウ付きで入手できたので、これをネタにしようと考えたのでした。
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が...

 実は調べる過程でひとつの疑問が膨らんで(ささいな疑問なのですが)、調べ始めるといろいろな事がとっ散らかって収拾がつかなくなってしまいました。
 なので前後編に分けます。

 例によって中途半端な調査です。アプローチ方法はわかっていても気力が続かない、ということでもあります。まあ、趣味の範囲だからそれも良いか。

 さて、この時期(大正から昭和初期)の国勢調査についてはかねてから一つの疑問がありました。

 「第〇回国勢調査」のカウントの仕方です。

 総務省統計局発行の「国勢調査100年のあゆみ(令和元年10月発行)」では、大正14年国勢調査を第2回、昭和5年を第3回と表現しています。統計局発行の資料ですのでオフィシャル版です。

 しかし、昭和5年国勢調査の絵葉書では「第二回国勢調査」の記念切手と消印が... では大正14年国勢調査とはどのような位置づけだったのか。

 実は2013年10月1日付記事で少し触れているのですが、大正14年は簡易調査なのでカウントされていなかった、と言えば言えるのですが、ずいぶんとお茶を濁した記事でした。ところが2020年1月発行の「統計図書館ミニトピックスNo23 第2回国勢調査はいつなのか?-国勢調査に係る統計史料を訪ねて【その8】 奥積 雅彦(総務省統計図書館)著」という資料を読むことにより氷解しました。

 氷解と言いましたが、本当にわかりやすく資料付きで解説してくれています。

 簡単に言うと、
①「国勢調査やるよ」法律では第一回と第二回のカウントは規定されているけれど、それ以降の法律では第〇回という表現は使われていない。
②第一回を行った後、5年ごとに簡易調査をすることにして法律を改正した。でも第二回と規定した国勢調査とは大規模調査を指すので、簡易調査はカウントされない。
(めんどくさいことに最初の法律では10年に一回と規定された調査も「第二回」に限り「第一回」の5年後に実施すると決められたのですが、その後これはなかったことになり10年に一回と法改正されました。でもなんか「第二回」の文言だけは残ったみたいです。
③「第一回」を行った後に、後付けで「5年に一回簡易調査やるよ」法律が出来上がり、大正14年国勢調査が実施されたけど、「ん? 第二回? 簡易調査だからノーカン(想像です)」という流れのようです。

 で、それ以後、法的には第〇回表記はなくなったので、正式にはそのような回数表現はないのですが、昭和40年、国勢調査記念切手で簡易調査もひっくるめたトータル回数で第10回国勢調査と銘打ったのでした。まあ、ややこしいことは考えなくて良いよね。法律違反じゃないし。

 なので、2025年に予定される簡易調査は第22回とカウントされるのでした。


 ...ここから申し訳程度に絵葉書の解説です。
 タトウも含めて5画像あげました。過去にあげた絵柄もありますが改めてです。というのもタトウの中に解説文が含まれていたからです。オフィシャルの解説です。
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 意外に感じたのは第三図に遼東半島が含まれていることでした。日清戦争で分捕ったのは良いものの三国干渉でロシアに取り上げられて、日露戦争で取り返したという大雑把な流れですが、確かにこの時期は関東州がおかれた日本の植民地です。
 久しぶりにこのあたりについての歴史の授業を思い出しました。

 ところで、お気づきかもしれませんが、これらの絵葉書は大阪府統計協会発行のものです。オフィシャルですがローカルです。他地域発行のものも当然ありますのでぼつぼつと蒐集していこうと思うのです。


 以上、前編でした。

 後編では大正14年簡易調査に係る2013年10月1日付記事で紹介した絵葉書から、とてもとても中途半端な蘊蓄を傾けます。

2021年10月 1日 (金)

古絵葉書 国勢調査 その玖

例によって10月1日は国勢調査絵葉書です。

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1920(大正9)年10月1日の第一回国勢調査記念です。
エンボス加工がなされた奇麗な作品です。

第一回の国勢調査にあたっては印刷局内朝陽会製のいわゆるオフィシャルな絵葉書だけでなく、いろいろなところからバリエーション豊かに絵葉書が制作されています。当時の絵葉書人気のなせる業でしょう。いったい何種類ほど存在するのでしょうか。
なんとなく集めていますが、手持ちのコレクションで14種(第一回のみ)です。おそらくもっとあることでしょう。きりがないなあと思います。

今回の絵葉書もその中の一種類なのですが、裏面への記念切手と横須賀局による記念スタンプが押された明確なコレクターズアイテムです。はてさてどんな方が蒐集されていたのでしょうか。

絵柄についてです。
国勢調査を実施する東京市麻布区富士見台に設置された国勢院(臨時国勢調査局)の入る新館が映っています。そして当時の総裁である小川平吉が配されたデザインになっています。

小川平吉については以前(20150923)の記事で言及しましたが個人的にはお近づきにはなりたくない人かもしれません。果たして人望があったのであろうか。疑問に感じる人物です。

いずれにしても国を挙げての一大プロジェクトでした。
国立国会図書館デジタルコレクションでは「国勢院第一部」という大正10年に発行された書籍を読むことができますが、800人以上からなる大勢の職員を擁したこのチームはずいぶんと頑張っていたようです。同書籍の写真からは膨大な書類の山と机に向かう職員の姿が残されています。コンピューターはないのです。エクセルもないのです。
その中で簡易食堂が設けられていたことが記載されていました。昼食夕食を摂ることができたそうですが、メニューとしては玉子焼き、豚汁、ライスカレー、牛丼、そして謎の開化丼とやらが... 中身が気になります。

2020年10月10日 (土)

古絵葉書 国勢調査 番外編

 10月7日締め切り予定だった今年の国勢調査期間が20日まで延長されたという件で、回答率の低さが大きな要因になっているとの報道でした。
 その回答率の低下は2000年以降年々増加し、直近(2015年)では13.1%であったといいます。今年は締め切り直前(6日)での回答率が35.1%でありこれでは延長もやむを得ないと思います。

 プライバシー意識の高まり? なにそれ美味しいの?

 普通にそう思います。国民として応える調査に対して一般庶民のプライバシーなどそれほど重要なのか。もちろん回答内容が一般に流出するならば論外ですが、この国勢調査は「国」としての最も基本的な調査でありこの統計情報を基に様々な政策だけでなく民間活力の基ともなるデータになるのです。
 まわりまわって私たちの生活に結びつくものです。

 なので思想信条などでいちびる類のものではないのです。

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 過去の絵葉書を通して、国勢調査が非常に重要なイベントであったことがひしひしと伝わってきます。
 国勢調査が始まった当時、「この調べに漏れては国民の恥」とまで言われた意識の高さはどうなったのか。戦前、戦後、軍国主義やらなんやら、イデオロギーの問題ではなく「国」「国民」の問題だと思うのです。
 
 日本国民の「民度」が高い? 何を言っているのだか。

 するべきこともやらない国民の「民度」のどこが高いのか。

 義務と権利のバランスが理解できない人は、自由には責任が伴うという事も言葉では知っていても実感として理解できていないことが多い。わたしはそう観察しています。

 そして少し苛ついています。

2020年10月 1日 (木)

古絵葉書 国勢調査 その捌

 10月1日といいますと国勢調査の日です。なので毎年国勢調査記念の絵葉書を挙げているわけですが、そろそろ新しいものの入手が難しくなってきたようです。まだまだあるはずなのですが。

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 大正9年の第一回のものです。

 大正9年の総人口が何人だったのかなと思い立ち、政府統計の総合窓口(e-Stat)で調べてみましたら、当時の総人口は56百万人弱でちなみに平成27年では127百万人(1億27百万? どうも漢字で書く時の正しい(読みやすい)表記がよくわからない)なので、少子化が叫ばれてはいますが当時と比較すれば多いのではないかと。うーん、どうだろう、その人数で他国と戦争をしていたくらいなら、技術が発達して豊かになったといえる現代で今の人数を維持する必要があるのだろうか... などと暴論を吐いてみる。ごめんなさい。(まあ、税収の問題なので小さな政府を目指して国民が少しの我慢をすれば何とかなるんじゃないかと思うのですよ。甘いかな)
 余談ついでにバルタン星人が移民したいと言ったときイデ隊員は全世界の人口が20億、と叫んだ記憶があります(あやふやですが)。昭和41年でもその程度なのですね。知らんけど。

 それはさておき、今年は国勢調査本番の年なので「さあ、やろうか」と思ったところ「やっといた」というのは妻の言葉。ありゃ、家長を差し置いて、という冗談はどうでも良いのですが、とにかく便利な時代になったものでネット環境は本当にありがたいです。

2019年10月 1日 (火)

古絵葉書 国勢調査(その漆)

 10月1日といえば恒例(いつの間にか)になりましたが国勢調査ネタでいきます。
 (この日のために律儀に寸葉会で探してきたのです)

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 大正9年10月1日の第一回国勢調査記念絵葉書です。
 エンボス加工がなされており丁寧なつくりとなっています。国勢調査絵葉書でエンボス加工を見たのは初めてです。いろいろとあるものですね。

 さて、絵柄ですが国勢調査申告書をあしらっています。これ自体はよくある(国勢調査絵葉書では)絵柄ですが、周囲の図案が特徴的だと思いました。
 上部の肖像画はおそらく天照大神でしょう。首にかけている鏡が象徴的です。周囲のトンボは秋津虫ですので秋津洲(日本)を表していると考えられます。(考えすぎ&深読みしすぎ... かもしれない)

 人口調査ではなく国勢調査ですのでまさしく日本国の勢いを統計として調査する最初の機会、ですのでずいぶんと気合の入ったものとなるのは仕方がありません。

 なお、消印は横須賀局で押された記念消印であり、記念切手の図案は崇神天皇(初めて戸口を調査して課役を科したという日本書紀の記述から)です。

 個人的な感想ですが、「完成された一品」ではないかと思います。当時のコレクターさん偉いなあ。


 今年のノルマは達成されました。来年は... ってもしかして2020年だから本番(国勢調査)ではなかろうか。前回は確かネットで済ませることができたような記憶がありますので次回もできるのかな。

2018年10月 1日 (月)

古絵葉書 国勢調査(その陸)

 10月1日なので国勢調査ネタです。

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 おそらく大正9(1920)年10月1日の第1回国勢調査に係る絵葉書と思われます。


 「岐阜県」「航空第二大隊」「飛行宣伝」でいろいろ調べましたが、岐阜市歴史博物館のHPから、所蔵されている絵葉書を見ますと「岐阜市上空より 国勢調査宣伝ビラ撒布の低空飛行」と題するものが公開されており、岐阜県各務原の陸軍航空第二大隊により宣伝ビラが配布されていたことがわかります。その中にこの絵葉書も含まれていたのではないかと思うのです。なお、ネットで調べますと他の意匠の絵葉書も存在するようです。 
 また、「この調べに漏れては国民の恥です」というキャッチコピーは第1回国勢調査でよく使われたフレーズです。大正9年のもので間違いないと思います。


 続いてもう1葉。

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 昭和5(1930)年10月1日の第二回国勢調査記念絵葉書で、記念切手、記念スタンプが揃っています。
 以前も述べましたが、この時の記念切手を見ますと国勢調査の範囲の大きさがよくわかります。当時における「日本領」すべてが含まれており、日本が一番調子に乗っていた時期です。

 さて、ここで引っかかったのは「紫翠文庫」の文字です。
 
 「紫翠文庫」って何?
 
 で、調べてみますと歯科医にして郷土玩具蒐集家でもあった「梅谷秀文(紫翠)」という人のオリジナル作品ではないかという結論になりました。
 
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 表面には差出人が「梅谷秀文」であり、「昭和5(1930)年10月1日の第二回国勢調査記念・梅谷紫翠版」という文字が見て取れます。
 
 興味が出ましたのでさらに調べました。「梅谷秀文」という方は、大正から昭和初期にかけて大阪では文化人の一人としてかなり有名な方であったようです。
 大阪人名資料事典によりますと「明治32年8月25日生。(中略)趣味は「天神さん」のコレクション」と紹介されています。「天神さん」のコレクションについては他の資料によると25日生まれという点と「梅谷」の「梅」にかけてのものであるようです。(天神さん「菅原道真」公の誕生日および薨去日はいずれも25日。また「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」の歌はあまりにも有名)
 
 とまれ、そのような文化人(趣味人)である「梅谷紫翠」が、目的は今ひとつわからないのですが「直井精一」という人物に送ったのがこの絵葉書なのです。
 この「直井精一」もひとかどの文化人(こちらは学者さん)であり、史料研究家(主に方言の研究)として名のある方であったようです。
 
 
 ところで絵柄は梅谷紫翠オリジナルのもののようですが「大阪府」と入っているのはナゼ? 大阪府公式グッズなの? それとも無断使用? 気になることは尽きないのですがなかなか調べ尽くせません。誰かにあっさり解説していただきたいものです。
 
 
(参考資料)
日本図書センター刊 「大阪人名資料事典第3巻 大阪紳士録1」P.176
創元社刊 橋爪節也編 「モダン道頓堀探検」P.140-141
名著出版刊 郷土会(郷土研究会)編 「郷土研究第五冊」P.215(国会図書館デジタルコレクション)

2016年10月 1日 (土)

古絵葉書 国勢調査(その伍)

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 10月1日なので国勢調査ネタをと思いました。そういえば去年もやったなあ。(と、言うか、しばしばやっています^^;)

 1920年(大正9年)の第一回国勢調査記念の絵葉書です。神武天皇と金鵄が描かれています。このデザインについては前回に蘊蓄しましたが、 「神武以来」 という言葉がしっくりくるほどの大調査で、当時の日本全域(朝鮮半島や台湾、樺太など)にわたる調査なのでした。

 絵柄は神武天皇ですが、記念切手は崇神天皇です。崇神天皇は国勢調査の元祖のような方です。日本書紀には、初めて人民の戸口調査をして、人民に調と役を科したとあります。調は税金、役は労役です。これを天神地祇(アマツカミクニツカミ)に納めることにより、国々は豊かになり人が増え、平和な時代になりました。そこで崇神天皇は御肇國天皇(ハツクニシラススメラミコト)と呼ばれることになったと記されています。

 記念消印は時計をあしらったものです。10月1日午前0時に調査がスタートしたのです。気合の入り方が違います。どうやら午前8時までに申告書を調査員に提出する必要があったようです。

 この午前0時を強調した絵葉書としてもう1葉ご紹介しますと、

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 と、いうものがあります。時計の周りに稲穂をあしらうことにより、調査が国の豊かさにつながることを暗示しているように思えます。本当に気合の入った大調査でした。

2015年10月 1日 (木)

古絵葉書 国勢調査

 10月1日なので国勢調査ネタをと思いまして(ってちょっと前にもやったかな)。

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 大正九年の第一回国勢調査の絵葉書ですが、この方は神武天皇です。

 なぜ神武天皇? 崇神天皇ならわかるんですよ。日本書紀にも「戸口を調査し、課役を科す」というくだりがありますから。

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 実際、昭和5年の国勢調査では崇神天皇が使われています。(切手剥がされています。残念)

 どうして神武天皇?

 いろいろ調べたり考えたりしましたが、「神武以来」という言葉しか思い浮かびませんでした。つまり、まったく初めてのことを行うのだぞ、今回の国勢調査というものは、というメッセージです。


 絵柄についてです。
 神武天皇の弓にとまる鳥、「金鵄(きんし)」といいますが、この鳥は、神武天皇が畿内を守る長髄彦(ながすねひこ)との戦いに際し登場し、その金色の光で長髄彦軍の目をくらませ、神武天皇軍を勝利に導いたとされています。

 実は第一回国勢調査の調査員が左胸に付けて調査活動を行った記章のデザインは神武天皇と金鵄の、まさに絵葉書のデザインでした。

 新しい事柄への開拓の精神というのでしょうか、日本国の大事業を行っているのだという気概が感じられるような気がします。

 

2015年9月23日 (水)

古絵葉書 国勢調査

 国勢調査のシーズンです。私も先日、インターネット回答を済ませましたが、いやあ、便利な世の中になったものです。

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 大正9年の第一回国勢調査に係わる絵葉書です。


 国勢調査の絵葉書については既に何回か(2013/10/01 2013/02/23)ご紹介しましたが、実際のところ数多く発行されていて集めだすときりがないくらいです。

 絵柄は左に時の総理大臣である原敬、右に国勢院総裁の小川平吉がデザインされており、地図は国勢調査の及ぶすべての範囲(当時の日本)が描写されています。

 国勢院総裁の小川平吉という人は、調べてみますとかなり個性的な方のようで、逸話の多い方でした。日露戦争については主戦派であり、講和に反対し日比谷焼き討ち事件を引きおこすなど過激です。

 また、経緯はわかりませんが、議会において小泉又次郎議員(小泉純一郎元総理の祖父)に殴り飛ばされそうになったりと、いったい何をやってたんでしょうか。

 この第一回国勢調査においては、国勢院総裁として陣頭に立っておられたわけですが、実際のところはおたふく風邪にかかってしまい、ヨロヨロであったと、ある資料には書かれていました。。

 とまあ、逸話は確かに多いですが

  ...晩年は鉄道大臣就任後の収賄罪での投獄・位階の剥奪など、穏やかではなかったようです。 なんだかなあ。

 

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