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2022年1月

2022年1月 1日 (土)

古絵葉書 第一回交通紀念絵葉書(続編)その弐

年が明けて最初の記事は、大晦日の記事の続きになります。
今年はもう少しまめに更新したいと思いつつ、おとらのしっぽ本館のリニューアル、および「北の大火を調べる」の記事追加などにも精力的に取り掛かりたいのですが... なかなか難しいものです。


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「交通」誌上では左が「甲」、右が「乙」と呼ばれている二枚一組の絵葉書です。

誌上(「交通」誌明治39年7月25日発行第371号)で解説されている意匠(絵柄)について、少しお伝えしたいと思います。

「甲(左側)」、逓信省本館の光景と山縣逓相及仲小路次官の肖像、となっています。誌上の表現では「戦時の交通事業は一に此裡(このうち)に画策されたるもの玆(ここ)にそが光景と肖像を縮写し周囲には警抜(けいばつ)を極めたる意匠彩色を用いたり」となっています。
ここで言う「戦時」とは日露戦争のことで、前回にも述べましたが郵便(通信を含む)のみならず運輸も含めた行政が逓信省の管轄でしたので、戦争中の交通事業は確かに逓信省の差配で成り立っていたと言えるでしょう。逆に言えば、「交通」の範疇には「郵便」も含まれていたと言えます。
肖像の右側は当時の逓信大臣「山縣伊三郎」であり、この人は明治の元勲(私個人的には含めたくないのですが(笑))、山縣有朋の甥であり養子となった人物です。

「乙(右側)」、神田局前観兵式紀念絵葉書発売の壮観、となっています。同様に誌上の表現では「本春帝都の中央に新築されたる該局(神田局)の宏壮(こうそう)は東京市における一偉観たるもの茲に該局が紀念葉書発売当時の大壮観に配するに市街及電車運転の状を以てし光景を眼前に歴々たらしむ」とされています。
日露戦争後の凱旋に係る逓信省としての一大イベント凱旋紀念絵葉書(満州軍総司令部凱旋、陸軍凱旋、海軍凱旋 の一連の絵葉書)発行と紀念スタンプ押印で、日本の絵葉書ブームは頂点を迎えました。それを象徴する神田局前の大行列の様子は、ある意味逓信省としての「凱旋」なのかもしれません。加えて1903年に開通した東京市街鉄道の電車の存在は(私からはおまけにしか見えないのですが)、「交通」誌の付録として相応しいものだと言えるでしょう。


さて、
多少のツッコミを入れつつも、だらだらと絵葉書の意匠について記してきました。
これらを踏まえて「交通」誌上で述べられる当該絵葉書発行の背景についても触れたいと思います。
そして「第一回」交通紀念絵葉書、と銘打たれているにもかかわらずどこをどう探しても「第二回」が見つからない理由の推測も含めて、です。

再三述べていますが明治39年当時は絵葉書流行のピークでした。収集家同士の取引も盛んにおこなわれ「絵葉書交換会」と名付けられた即売会も頻繁に開催されていました。
これは儲けのチャンスです。様々な業者が乱立し絵葉書を制作しますがここで問題が生じます。粗製乱造と公序良俗に反する製品の流通です。

非常に面白いテーマなのでいずれじっくりと文章にしたいと思うのですが、今回は「交通」誌上の記述から簡単に触れてみます。

付録として発行されたその号に、「交通紀念絵葉書発行」と題して一文が載せられていますが、そこでは絵葉書の隆盛に触れつつも問題提起として「野卑拙劣風俗を害し秩序を乱す」絵葉書の氾濫を嘆き、「絵葉書の趣味目的はこれを通信に用うるに依りて郵便として取扱うべからざる風俗公安を害するもののごときは最も忌むべく最も取り締まらざるものたり」と憤りを示しています。
余談ですがこの時代、しばしば新聞紙上で「風俗壊乱絵葉書」「裸体絵葉書」が取り締まられる内容の記事が掲載されています。小学校教員が売買に携わり懲戒免職になった記事もあります。つまり「野卑拙劣風俗を害し秩序を乱す」絵葉書の存在は十分に社会問題化していたのです。

そこで、交通学館が立ち上がったというわけです。
交通学館は「明治23年交通事業の発達」に伴い「業界の羅針盤」となり「先頭に立って時世の潮流を指導せん」という目的により設立された組織のようです。十分に調べ切れてはいないのですが逓信省下での外郭団体ではないかと思います。
その組織力によりお手本となる絵葉書を発行し世の乱れを正したい、という主旨のようで、すなわち、「自ら絵葉書発行の計画を策し「交通紀念絵葉書」と題し回を重ね順を追うて交通に関する内外の新問題をとらえてこれに斬新警抜なる意匠と鮮麗優美の色彩とを配せるものを発刊し以て社会の耳目を新たにし風尚を清めんと欲して」と、抱負を述べています。

事実、この二枚一組の絵葉書は上質な出来上がりです。
「交通」誌同号には併せて当該絵葉書の詳細な解説として「甲は逓信省本館の浜離宮に面せる方を撮影、左に翠の松、薄桃色の菊花の裡、金色燦として山縣逓相仲小路次官の肖像を現わし、上に逓信省の徽章(きしょう)を出し金色の所は凸版を用い優美清麗を極む。日露戦端を啓くや戦時交通の経営画策は一に此建物内においてせられたるもので後世に紀念とすべきものである」と記されています。
また乙についても「中央に本春新築せられたる帝都の一偉観たる神田郵便局が第五回戦役記念絵葉書を発売する光景。左に市街の體裁(体裁)、右に電車運転の状況及び蒻鬱(こんもり)たる神田明神の森をブリウブラックに刷出し、十数町に続ける絵葉書を買う人が群集せる当時の光景見るがごとく、誠に稀代の壮観で今これを絵葉書に作製したのは実に紀念の紀念と言って良かろう。ことにこの絵葉書をして奇抜ならしめ手に取る者をしてアッと許に驚嘆せしめるのは上部に紀念絵葉書に紀念日付印を押捺すべく公衆が群集し来れる半身を刷り出し、下部には郵便局窓口において吏員が紀念スタンプ押捺方に忙殺されたる状を示したる意匠は卓抜斬新無類飛切と言わねばならない」と、絶賛(自画自賛ですが)しています。
さらに、材質についても言及されており、当初予定されていた用紙は戦争のこともあり品切れになっていたため、さらに上質な用紙へ変更したとされています。

「卓抜斬新無類飛切(たくばつざんしんむるいとびきり)」「紀念の紀念(記念の記念)」
これら最大限の言葉を尽くして形容する作品は、確かに「野卑拙劣風俗を害し秩序を乱す」粗悪な絵葉書に対抗する、プライドをかけた出来上がりです。
(ちなみに、デザインは樋畑雪湖氏、印刷は東京印刷株式会社という日露戦役絵葉書(第3回以降)の作製と同じ組み合わせです。樋畑雪湖という人についてはまた別の機会に蘊蓄してみたいと思います。)
元々「交通」誌370号付録の予定だったのが作製に時間がかかり371号付録へとずれ込んだという経緯があるほどです。


しかし...

交通学館の思惑では爆発的な人気により即完売(付録贈呈とは別に販売も行っています)という心積もりだったのでしょうが、どうやらなかなかそのようにはいかなかったようです。
販売が始まってから後も、「交通」誌上では同絵葉書の広告が掲載され続けます(再版なしというのが事実であれば初版を売り切るだけですが、何部刷ったのかは資料がありませんでした)。
その広告も、回を追うごとに内容が細かくなってくるのです。すなわち、いかに素晴らしい絵葉書であるかを強調する内容です。

最終的に同年10月10日発行の「交通」誌まで広告は続きました。(「交通」誌は月2回発行です)7月後半号から10月前半号まで広告が続くということ、広告そのものが回を追うごとに詳細になり素晴らしい作品であるかを強調する内容になって行ったこと、などから思うようには捌けなかったのではないかと想像するのです。(好評だったのは間違いないようで、付録が付いた871号誌の次号872号誌では、この絵葉書のおかげで繁忙になり発行が遅れた、ごめんなさい、という「館告」が掲載されています)
同年8月1日に日米海底ケーブルが開通します。8月10日発行の872号誌広告からは、交通紀念絵葉書に、この日米海底ケーブル開通記念の記念スタンプも押されていることが記載されています。なかなか捌けないのは記念スタンプがなかったから、という論法になったのかどうかはわかりませんが...
(ちなみに日米海底ケーブル開通記念の公式記念絵葉書(非売品)は「超」が付くプレミアです)


そこから第二回交通紀念絵葉書が見つからない理由を推測しますと(いや、あるのかもしれませんよ。翌年の「交通」誌は読めていませんから確認してはいないのです。そのうち読みに行きます)、第一回で金を使いすぎた(そりゃあね)。その割に目論見通りの爆発的な人気にならなかった、という点、しかも同年末あたりでは「交通」誌上でさえ絵葉書ブームは下火になったというコラムが載り始めるくらいですので、8月あたりからは、ぼちぼち飽きられ始めていたのかもしれません(絵葉書そのものは根強い人気を維持しますが「爆発的」な流行は終息に向かいます)。

以上の点から推測すると、第二回は発行されなかったのではないかと考えるのです...
いや、重ねて言いますが確認したわけではないので絶対ではないですよ。大阪ではこういう時「知らんけど」を末尾に付けるのです。

それが免罪符なのです(知らんけど)。


(参考)
逓信省発行日露戦役紀念絵葉書-その実相と意義-  向後恵里子著
「交通」誌  交通学館発行(公益財団法人通信文化協会郵政博物館 蔵)

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