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2020年10月11日 (日)

古絵葉書 万国郵便連合加盟25年祝典記念(或いは絵葉書の歴史について)

 絵葉書の歴史については私が解説するよりもはるかに良質な資料が図書館やネットに存在するわけですが、それでも概要だけ少し説明しておいた方が、この絵葉書の立ち位置がわかりやすいかと思います。つまりこの「万国郵便連合加盟25年祝典記念」絵葉書は絵葉書の歴史の一頁を飾る存在なのです。

 すでに書いていたかと思いますが、日本における絵葉書の歴史は、1900(明治33)年10月1日に施行された逓信省令第42号で、郵便規則第18条に私製葉書の規定が含められたところから始まります。もっともそれ以前に国内に絵葉書がなかったかというとそういうわけでもないのですが、そのあたりはまた別の機会にという事で、とりあえず明治33年10月1日から国内の絵葉書作製が始まり一般に流通し始めたと理解していただければ良いと思います。
 とはいえその直後から爆発的に人気が出て文化として確立されたかというとそうでもなく、まだ一部の所謂知識人たちの趣味の世界であったと言えます。
 絵葉書は徐々に文化的なツールとして市民権を得ていくわけです(考えてみれば電話も十分に普及していない時代、遠方との連絡は郵便に頼るしかなく風景や出来事を伝えるツールとして絵葉書が必要にかなったものであることは明らかでした)。

 「私製」葉書が公に認められた、ということはルールに則れば誰でも葉書を印刷して発行できるという事なのですが、かと言って「官」がまったくその方面にノータッチなわけでもなく、絵葉書人気が徐々に上がるにつれ公の記念行事に対して「官」が絵葉書を発行するという事は当然のことだったと言えるでしょう。

 すなわち「官製絵葉書」の登場です。

 「万国郵便連合加盟25年祝典記念(萬国郵便聯合加盟二十五季祝典紀念)」絵葉書は当時の逓信省が発行した「官製絵葉書」の第一号になります。(有名な絵葉書なので市中にはよく出回っています)
 ここから後、数年後に「日露戦役絵葉書」が発行され狂乱のような大ブームが生み出されるのですから、やはり重要な出来事だと言えるでしょう。

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 1902(明治35)年6月18日に発行された(祝典は20日開催)これらの絵葉書は、当時6枚一組5銭で販売されました(祝典招待者へは記念品として寄贈。発行総数は約40万組)

 意匠について簡単に解説しますと、
 1枚目(グレー)は「皇居と楠木正成銅像」が描かれています(ダイヤモンド歯磨き本舗のスタンプは宣伝用に使用者が押したものです。意匠とは無関係です)。このあたりは理解しやすいです。
 2枚目(赤)は「加盟当時の駅逓局」および「1874年に設立された万国郵便連合の第一回会議場(スイスのベルン)」があしらわれています。駅逓局とは逓信省の前身といえる官庁組織のことで、現在の東京日本橋郵便局の地に建っていました。また万国郵便連合とは国際郵便制度を管轄する組織で、現在では国際連合の専門機関のひとつになっています。国連の広報頁では「万国郵便連合は192カ国の加盟国を持つ国際機関で、最高水準の容易に利用できる公的な郵政サービスに普遍的にアクセスできるようにすることを任務としている。1874年に設立され、1948年に国連の専門機関となった」と解説されていますが、国内郵便切手で国際郵便が扱われるのもこれに加入しているおかげなのかもしれません。日本は1877(明治10)年に加入しました。
 3枚目(青)は「山陽鉄道(現山陽本線)の風景と設置された郵便物受授機械」です。少しわかりにくいのですが英文のあたり二本立っているのが「郵便物受授機械」だろうと思います。この「郵便物受授機械」については郵政博物館研究紀要第8号に記載があり、走行中の列車から通過駅へ郵便物を渡し、また受け取るための仕組みで「吉野式鉄道郵便自動受授装置」として特許証が掲載されていました。
 4枚目(白)は「日本交通地図」と題し鉄道路線、定期航路、海底ケーブルが記されています。当時の逓信省は陸運(鉄道含む)、海運、電信事業すべてを管轄していましたからこのような内容の地図になったようです。
 5枚目(オレンジ)は「加盟当時の横浜郵便局と外国郵便を扱う袋(嚢)」です。横浜郵便局は「外国郵便創業の局」となりますので、万国郵便連合加盟後の25年の足跡を示すのにふさわしい意匠と言えるでしょう。
 最後の一枚(緑)は「東京郵便電信局舎と郵便発着口」になります。当時、東京日本橋にあった今でいうところの東京中央郵便局です。

 これらの絵葉書は先ほども述べましたが「官製絵葉書」の第一号であり、また一般庶民からも好評を博しました。6月18日に発売され20日時点では売り切れています。6月22日付東京朝日新聞によれば横浜局の様子として、売り切れにもかかわらず朝から大勢が詰め寄り、ある者は東京の本局へまで苦情を申し立てに行った、との記述がありました。
 しかし、興味深いのはこの当時の人々は絵葉書の使い方を十分に理解していなかったという事です。
 6月19日付東京朝日によりますと、「絵葉書使用の注意」という記事が掲載され「逓信省より発売された万国郵便連合加盟紀念絵葉書は、裏面すなわち絵画印刷のところへ通信文を書くべきを、表面(住所氏名を書くべきところ)へ通信文を記し、また切手を貼らずに差し出す者がいる。これは先方に迷惑をかけることなので差出人は注意をするべき(意訳)」と書かれていました。切手を貼らないというのは葉書の出し方そのものの問題なので論外なのですが、絵葉書の使い方についても十分に浸透していなかった様子が窺えます。(注:初期は宛先面に通信文は書けませんでした)
 流行りものに飛びつく心境ゆえの盛況だったのでしょうか。

 もう一点挙げておきますと、記念スタンプ(特殊通信日付印)の始まりもこの万国郵便連合25年絵葉書のタイミングでした。

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 鮮明なものが入手ができませんでした(というか鮮明なものもあったのですが購入時にケチったからです)ので見ずらいかもしれませんが、記念スタンプが押されています。この記念スタンプにも多くの人が群がり、後、日露戦役記念になりますと三味線などもはや葉書と関係のない場所に切手を貼りスタンプを押してもらうという狂乱現象まで起こっています。

 さて、この絵葉書が発行されてから2年後に日露戦役記念絵葉書のシリーズが逓信省から発行されていくわけですが、わずか2年で絵葉書の質は格段に向上することになります。明治39年に発行された「エハガキ趣味」という刊行物(「絵葉書関係資料コレクション」第5巻 向後恵理子編より)には小波山人(さざなみさんじん おそらく作家の巖谷小波(いわやさざなみ))という人のエッセイに「...私製葉書の長足の進歩は、また官業のそれをも刺激し、今度の戦役紀念葉書の出来栄えなど、先に郵便同盟紀念を発行の時、むしろ恥を万国にさらしたお手際とは、まさに雲泥の差と言ってよしかな」と書かれていましたが、確かに日露戦役絵葉書を知っていた私も、そのあとに万国郵便紀念絵葉書を古絵葉書の山から見付けた時に最初はスルーしてしまったものでした。紙質も印刷も出来が全く違うのです。

 逆に言えばこれほど絵葉書の歴史を表す資料は、そうそうないのかもしれません。
 また古書市や寸葉会へ行くときは、日ごろから勉強しているならば良いものを見過ごさなくて済むのだと言えます。心しなくてはなりません。

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