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2019年10月26日 (土)

古絵葉書 下鴨林間学校(リメイク版)-大正期の林間学校について-

 ずいぶん以前(2013-03-10 2013-03-11 に取り上げた絵葉書です。
 最近、大正時代の「林間学校」について調べる機会がありましたので、改めて記事を書いてみたくなりました。いつもなら過去記事に「追記」という形で書くのですが、リメイク版というのも格好良いような気がして(誰も見てないブログですが)やってみたくなりました。

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 タトウ(畳紙)付きの6葉セットになっています。

 下鴨神社(正式名称は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」)は言わずもがなの有名な場所であり世界遺産に登録されています。また、「糺の森」という東京ドーム約3倍の面積を誇る原生林!を擁する、平安京より古い神社です。

 絵はがきは、この神社の境内で開催された大正14(1925)年夏の「林間学校」を記念する絵葉書となっています。


 「林間学校」について述べる前に主催者の「京都市教育会」について触れておきたいと思います。

 京都市教育会は明治35(1902)年2月8日に、京都市の教育施策の補完と通俗教育事業の実施機関という役割を以て発足しました。
 余談ですが、既に京都「府」教育会が存在していましたが、京都市は市政特例廃止法の公布(明治31(1898)年)に伴い市政の自治が拡大されたことから京都市教育会を発足させました。それに対し京都府は不快感を表すわけですが、まったくもって府と市は発足当初から仲が悪いのですね。
 なお、京都市教育会は現在の京都市教育委員会とはまったく関係ありません。

 さて、「林間学校」についてですが、今日では「宿泊を伴う校外学習」の機会として、あるいは「自然の中での集団生活を通しての人格陶冶」の機会として、などが目的として認知されているかと思いますが、その成り立ちは明治期に遡り、かつ目的も少し違いました。

 日清・日露の両戦役を経て、国民の体位向上が国防の基礎として重視されるなか青少年への結核予防対策としての側面を持ちながら、主に虚弱児童を対象(例外もあったようですが)とした行事であった、ということができるかと思います。

 都市の発展に伴って未整備な衛生制度が露呈することで、様々な「都市」環境問題が発生しました。結核を含む伝染病などはその一例です(明治後期の新聞には大阪市内などでのペスト流行がしばしば報道されています)。
 そして東京市、大阪市などの大都市を中心に、都市の子どもに特有の教育問題 として、「身体虚弱」をはじめとする子どもの心身の「虚弱性」の克服が大きな課題とされたのでした。当時の記録には、「...要するに都市の児童は総じて身上高く,体量軽く,胸囲狭く,所謂ヨロヨロの人間が多い」、という言葉が載せられています。

 そのような背景の中、理想的な生活環境としての自然回帰が図られたのは頷けることです。そこで主に虚弱児童を対象とした自然の中での健康増進を図る機会として「林間学校」あるいは「臨海学校」が開設されていったのでした。(必ずしもそのような目的だけではなく、①健康な児童をより強健にする。②健康増進以外の目的(精神修養、生活習慣の確立、自治的共同生活 等々)。③虚弱児童の養護を主目的としつつも、学習面で特徴的な活動(郷土の地理、歴史、産業に関する学習 等々)。といった目的で虚弱児童に限らず実施していた事例もあったようです)

 実施形態については様々な形があったようですが、特徴としては期間が長期にわたるものが多かったということを挙げることができます。3週間を期間とするものが最も多く、2週間がそれに次いでいるようです。いずれにせよ今日で言うところの「林間学校」よりも期間が長く設定されています。
 また、宿泊を伴わないスタイルも多く存在したようです。その場合、近くの神社・山林・公園や小学校の校庭などを開設場所として利用し、児童を毎日そこに通わせることになります。朝7~9時頃に開所され、昼前あるいは夕方に閉所したようです。

 絵はがきの下鴨神社林間学校もそのような宿泊を伴わない「通い」の林間学校であったと思われます。絵葉書の中に宿泊の様子が含まれていないことからそれが窺えます。

 大正期の下鴨神社は現在のように人が決して多くはなく(今は観光客ばっかりです)、京都市内とは思えない豊かな自然を「通い」で満喫できる絶好のロケーションであったことが絵柄の様子から見て取れます。きっと素晴らしい時間を多くの子供たちが過ごすことができたことでしょう。
 健康になれたかな。



(参考)
京都市域に所在する『教育碑』についての総合的考察(一) ―教育碑に関する実地調査結果とその分析―
 生田義久著
特別市制運動下における都市社会教育の成立と展開 ―京都市教育会の通俗教育事業を中心に―
 関直規著
独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所 教育相談情報提供システム(トップページ > 特別支援教育の知識>各障害に関する知識> 病弱・虚弱 )「病弱・身体虚弱教育の始まり」より
大正期における「林間学校」の受容と発展に関する一考察 ―その目的と実践内容の分析を中心に―
 野口穂高著
大正期における「虚弱児童」の教育問題化と「野外教育」
 野口穂高著
<林間学校>の誕生 : 衛生的意義から教育的意義へ
 渡辺貴裕著


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