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2019年8月17日 (土)

古絵葉書 島根県松江市

 祖父の遺品の中からご紹介します。いずれも明治末から大正前期のものになります。

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 「大橋斜面の景」と題されています。

 松江に土地鑑は全くないのですが、松江の大橋についてざっくり調べてみますと、「橋」につきものの人柱伝説がありました。
 江戸初期のころ、なかなか架橋できなかったこの橋に人柱を立てることが決まりました。人柱は朝一番に下駄(或いはマチのない袴)をはいて仮橋を渡る者、とされ、足軽の源助という人物ががたまたまそれにヒットしてしまった、というわけです。捕らえられ生き埋めにされたわけですが、想像するだにつらいものがあります。
 Wiki先生によりますと、1891年に近代的な鉄製トラス橋となり、1911年には鋼桁橋になったと書かれており、さらに現在の橋は1937年に架けられた17代目にあたるものだそうです。(源助さんの犠牲はいったい...)

 そのようなわけで、絵葉書の橋は1911年以降のものと思われます。
 また、画像の正面、すこし小高くなった場所には松江城が写っています。今でも見えるのでしょうか。
 Googleさんのストリートビューで確かめてみましたが、地上からは無理そうでした。しかしそれほど高い建物もなさそうでしたので、同じアングルからでしたら今でも見えるのではないでしょうか。
 もうひとつ気になったのは橋の先にある建物、時計台のように見える建物ですが現在は松江シティホテルとして現存しているようです。HPを拝見しましたところ 「当館を経営する別館1Fの宝飾店「創美堂」の創業当時の写真」 として時計台の写真が載せられていました。明治9年(1876)創業の老舗時計店である創美堂さんで、現在の時計台は4代目であると、これも別のHPで知ることが出来ました。
 
 流石に古く歴史のある街です。

 もう一枚ご紹介します。

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 「床几山より市街を望む」と題されています。

 わかりにくいですが、対岸には松江城が写っています。ちなみに海みたいなのは宍道湖で手前の鉄道は山陰西線(当時)になります。

 関が原の戦い後、この地の領主となった堀尾吉晴は小高い丘の上で床几(腰掛)に腰を下ろし、あたりを一望しながら城を建てる場所を決めたと言われています。そんな謂れから床几山と名付けられたそうです。確かに松山城まで一望できます(現在では見えないようですが...)。

 また、手前に汽車が写っていますが、山陰西線が開通したのは1912年ですので、やはり1枚目のものと同時期に撮影されたものでしょう。家もあまり建っておらず長閑ななかで意外に編成の長い汽車がのんびりと走っています。


 二枚の絵葉書が撮影された場所を、現在の地図に照らし合わせてみたいと思いました。いずれも松江城が写っていますので方角も同定しやすかったです。

Photo_20190817161901
 Google mapを加工させていただきました。
 ずいぶんと埋め立てられているようです。

 
 今回の絵葉書は松江土産として冊子の形状で作成されたもののようです。二枚目の右端を見ていただければわかるかと思いますがミシン目になっています。切り取って絵葉書として使用できますし、そのまま観光土産の写真帖としても利用できます。
 私の手もとにあるのは傷みも激しく何枚か欠けてもいますが、なんとか元の形状を保っています。切り離すのは嫌でしたのでフラットヘッド型のスキャナ(プリンタ兼用)で取り込んだのですが、うまく取り込めて良かったです。

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